自己紹介:
2才になって間もなく、父が蒸発しました。
幸い父は戻って来てくれましたが、家族が崩壊に向かってちぎれていく様子を毎日のように目の当たりしていました。
それが僕の記憶の始まりです。
結局両親は離婚し、まだ離婚が珍しかった時代に多くの大人から「欠陥家族」として見られる毎日。
「貧乏人はろくに勉強もできない」
そんな偏見から逃げ出したくていつしか学歴を得ることに救いを求めるようになっていました。
大学を卒業し、社会人として働きお金を貯め、必死で勉強して海外MBAを卒業しました。そのおかげで、前職である外資系製薬会社で抗がん剤の新薬上市という人の命を救うことに携われるっていう、大切な仕事をすることだ出来ました。
でも仕事は尋常じゃなく忙しく、残業時間は記録を取っているだけで170時間の月も。それに加えて上司からは
「明日の朝にこの資料を発表できるようにしておいて」という指示が夜中に毎日のように来ました。
同僚が1人倒れ、僕も体の左半身にしびれた感覚を感じるようになりました。徐々にしびれた感覚が広がっていく恐怖。このままでは倒れてしまう!仕事の量について上司に相談したのですが、それを「反発しやがった」と感じた上司からはさらに仕事が振られました。
「弁護士に相談します」
そう人事に話してやっと休みを取らせてもらえました。
でも、ある先輩社員からは「弁護士」なんて言葉出したら会社は君のこと危険分子とみなして報復されるで!との忠告。その言葉通り、僕は会社の中で徐々に追いやられて行きました。
「なんで僕だけがこんな目に」
そう思って周りを見渡すと、なんとこんな目にあっているのは僕だけではありませんでした。
雇用期間を盾に無理な仕事量を依頼され続け、うつ病になってしまった契約社員さん。主要プロジェクトが上手くいかなかった責任を全て擦り付けられ、部下をはぎ取られ窓際へ追いやられた部長。
そんな人たちがけっこうな割合でいました。そしてみんな、生きていくためにその状況を受け入れざるを得ない。
もしも他に収入の手段があったなら、僕は痺れた感覚が広がっていく恐怖を我慢してまで会社に従わなければって思っていただろうか?
もしも他に収入の手段があったら、うつ病になってしまった同僚は心を病んでしまうまで頑張っただろうか?
僕は弁護士を通して前職の会社と戦うと決めた時、同時に自分で生きれる手段を作ると決心しました。
そしてその方法を誰でもできるように体系化し、同じように苦しんでいる人に向けてできるだけ広い範囲へ広めていくって決心しました。
幸いなことに今、私はクライアントさんを持つことができ自分のビジネスを確立していく段階に入ることができました。
だから、その方法を誰にでもできるくらい簡単にして、このメールマガジンで届けれるようになり少しでも多くの、同じ苦しみを持つ人の助けになれればと願っています。